-Sou-

自閉スペクトラムの息子と生きる。

妊娠、結婚、出産~自閉スペクトラム診断まで(2)

(1)はこちらhttps://end8z.hatenablog.com/entry/2018/06/17/215939

 

 

前回に引き続き、

わたしと息子のことを語るために

切っても切れないこれまでのことを、

ゆっくり綴りたいと思います。

 

元夫の家族と同居を初めて3ヶ月半ほどで、

わたしは実家に戻ってきていました。

 

たった3ヶ月程度のことだったはずが、

わたしにとってはとても長く苦痛な日々でした。

 

相変わらずリビングで寝ている義両親。

なので変わらずご飯は外食ばかりでした。

鼻がどんどん効くようになってくると、今度は臭いの問題が出てきました。

 

元夫の家には犬がいたのですが、

メスの犬でしたが、去勢手術を受けておらず、

完全室内飼いでした。

 

発情期がきたら、犬の生理の血は廊下やリビングの床に落ちたまま。

犬のトイレシートは汚れたものをそのまま、脱衣場の一角にまとめて置いてあるまま。

トイレシートも気付かずに放置してあることが多々あったので、犬の体からは常に排泄物の臭いがしていました。

匂いに敏感になっていたわたしには我慢しづらいものでした。

 

次の問題がわたしの腰痛でした。

妊娠してからひどい腰痛に悩まされ、仕事が終わったあとは一度座ると立つことも難しいほどでした。

我慢しきれず休むこともありましたが、

洗濯物や掃除は待ってはくれません。

掃除は調子が良い時に細々としていましたが、

洗濯だけは毎日しないことには制服が足りなくなってしまうので、痛いのを我慢して干していました。(当時、部屋干しでした)

 

ある日、あまりの痛みに立ち上がれず、

元夫に洗濯物の取り外しと新しい洗濯物を干すことを頼んだことがありました。

 

「明日やれば?」

返ってきた返事はその一言でした。

元夫はその時、借りてきたDVDを見ていました。

 

今干さないと、臭くなってしまうとお願いしたところ

じゃあ自分でやれば、と取り合っても貰えず、

あまりの腰の痛みに泣きながら洗濯物を片付けたことをよく覚えています。

 

その後もわたしの腰痛は良くなることもなく、

日に日に痛みが酷くなっていくだけでした。

少しでも痛みを減らすために大きめのぬいぐるみを足に挟んで寝た日に、

邪魔、あっちいけよと布団から追い出され、

床に直に毛布をひいて寝たこともありました。

わたしは何のためにこの人と一緒になったのだろうと、何一つわからなくなってしまいました。

 

そしてある夜、

歩み寄りが大切だと思っていた(今でも対人関係において大事だと思っていますが)ので、

検診で撮ってもらったエコー写真を手に、

話しかけたことがありました。

 

いま、これくらいなんだって。

体重はこれくらいなんだって。

性別はおとこのこなんだって。

名前も考えなきゃね。

 

日常的な必要最低限の会話しかなくなっていたなかで、

勇気を出して話しかけた、はずでした。

 

興味のない返事がひとことだけ、返ってきただけでした。

 

わたしは、精神的に不安定になっていたのもあって、

翌日実家に逃げ帰り、

母に泣きながらに話をしました。

 

そして母に一度帰ってくるようにと、言われたのです。

 

このままでは、お前がダメになる。

お前がダメになったら生まれてくる子供を育てられる人間は誰もいない。

だから一度逃げなさい。

 

そう言ってくれた母の言葉をそのままに元夫に告げ、

わたしは実家へ戻ることになりました。

同居してからわずか3ヶ月半のことでした。

 

母は元夫に連絡を取り、

もちろんいつでも会いに来てくれて構わない、

土日に泊まっていく準備もある、

一度心が落ち着くまで様子を見て欲しい、

できれば協力して欲しい。

と伝えてくれていました。

 

3月のことだったと思います。

元夫とはほとんど顔を見ることもなく、

稀に日曜にこちらにきても

夕方5時頃にきて、7時頃には帰るということが殆どでした。

 

わたしの母が泊まっていけば?と聞いても

いいです。と帰っていく中で

わたしはひとつの確信を持っていました。

 

そしてある時、元夫に

うちの親が心配してるんだけど1回帰ってきて。と言われた瞬間に

わたしの中でなにかが弾けました。

 

あなたはわたしに、自分の家族を大事にしろと言うけれど、

あなたはわたしの姉を嫌いと言い放って、

わたしの親の前で居たくないって顔をする。

なぜわたしだけがあなたの家族に歩み寄らなくてはいけないの?

あなたはわたしの家族を平然を嫌いだ会いたくないだと宣うくせに、

わたしが同じことを言ったらどうするの?

 

そうなんです。

わたしは、親の代わりのようにわたしを育ててくれた17歳年の離れた姉がいますが、

その姉のことを、元夫に嫌いだから会いたくないと公言されたことがありました。

 

わたしが声を上げて怒ったことで、

元夫はもういい。でも俺はお前の家族と会いたくないから。と吐き捨てるように言いました。

それとこれとは関係ないとでもいうかのように。

 

だから泊まらないし、

家に来るのも遅いのね。と聞くと

無言の肯定を頂くことになったので、

じゃあこなくていいよ。と話は終わりました。

 

その後、元夫からは毎晩

今から寝ます。の着信だけが入るようになったのですが、

もう声をきくことすら嫌だったわたしは

ある日それにも声を上げることになりました。

 

検診に行くと伝えてあっても毎晩毎晩寝ますの報告だけで、

どうだった?の一言もない。

今日なにしただのどうだっただのの話のひとつもない。

ただ寝ますって言うためだけにわたしをイラつかせるならかけてこないで。

 

そう告げると翌日から電話は鳴らなくなりました。

 

さて、このわたしと元夫の喧嘩に

なんの意味があるのかと言うと、

この喧嘩、臨月直前まで何度も繰り返したのです。

息子は驚く程に胎動のない子供でした。

 

たまにぽこんと動く程度で、

お腹が動くよ~!なんて言われても

え?動かないよ?ってくらいに

ほんとに動かない子供だったのです。

 

そんな息子が、

わたしが声を上げた時だけ

恐ろしい程に動いていたのです。

 

月齢と共にその動きは激しくなり、

臨月前の喧嘩では、

お腹にエイリアンでもいるのかな、これ、お腹裂いて出てくるのかな。と思わせるほど

服の上からでもお腹の形が変わるのがわかりました。

 

わたしにとって

この無意味とも思える喧嘩が

息子の心の発達に

大きな影を落としているのではないかと、

2つ目の懺悔であり、心配事であるのです。

 

もちろん喧嘩だけではなく、

元夫がどんどん嫌いになり

顔も見たくなくなり、イライラして

そんな気持ちで、

わたしはこの子を愛せるのかな?

育ててあげられるのかな…

いっそこのまま二人で死のう。

とよく考えました。

 

わたしのこの気持ちすらが、

息子のこころの形成に良くないものだったのでは、と

今でも悔やんでも悔やみきれません。

 

パートナーの存在はとても大きいものですね。

どんな形であれ、

お互いがお互いを選んだのであればこそ、

支えあうことができるように努力しなくてはいけませんね。

 

わたしと元夫の関係も

100%元夫が悪いとは、わたしは言いません。

わたしにも悪いところはありました。

 

大きな代償を払って勉強したことなので、

次があるとしたら

同じようにはならないように

精一杯の歩み寄りを見せ、全力で頑張りたいですね…。

 

次回は臨月~綴りたいと思います。

お付き合いありがとうございました。

大阪の大きな揺れとその後について

先ずは、ご自身の安全は確保出来ておりますでしょうか。

今後も最悪の事態も想定し、

できる限り落ち着いて行動するよう、

心がけて下さいね…

 

命を落としてしまった方が、何名かいらっしゃったことに

大変な悲しみを覚えています。

子供の命が奪われることは

何よりも辛いです。

 

これ以上の犠牲が出ないよう、

どうか皆さんお気をつけてお過ごし下さい。

 

動物が多く、迷子になっているようですね。

咄嗟のことにパニックになったのでしょう。

 

そして発達障害のある子供たちのことがとても心配です。

ご家族の方は大変かと思いますが、

いつもより多くのスキンシップや、声かけで1秒でも早く不安を払拭してあげられるよう留意されていらっしゃることと思います。

 

避難所にて生活されていらっしゃる方も多く居られるようですが、

その中にも発達児さんの家庭があるのでは…ととても不安に思います。

 

障害のない子供ですら不安定になり、

大人も神経を張り詰めていらっしゃるでしょうから

些細なこともイライラの原因になることもあるかと思いますが、

どうか温かい目を向けてもらえるよう、微力ながら願って止みません。

 

お子さんのケアに当たっているご家族の方々も

大変なこととは思いますが、

一時でも早く落ち着いた生活に戻れますよう…。

 

 

 

妊娠、結婚、出産~自閉スペクトラム診断まで(1)

こんばんは。

今日2度目の投稿です。

 

うちの子が生まれる前から診断が降りるまでのことを書いていきたいと思います。

長くなるので何度かに分けて、書いていきますね。

 

わたしと元夫はデキ婚でした。

それも正直別れようと思っていた矢先のことで、

わたしはこの子もおろすつもりが6割ほどの気持ちでした。

 

わたしの元夫は、所謂ニートでした。

今となってはなんでそんなやつと?って感じですが、

当時はわたしは朝から晩まで仕事をしていて、

元夫が何をして過ごしているか全く知りませんでした。

 

時々元バイト先にバイトに出てはいたようですが、週に2度もない程度で(まあ、ニートではないですね、一応)

就活をしている。とわたしは言われたままに信じていました。

当時元夫は30だったので、

なかなか就職先が見つからないという言葉も多少の説得力があり、(なんといっても就職氷河期に若干かかるしリーマンショックもかかっていたので、中途採用されにくい年齢でしたし)

わたしはてっきり、就職に向けて頑張っているものだと信じ切っていました。

 

実際は親の財布からお金をすってまでパチンコに行っていたようでしたが。

 

別れようと決めた理由は他にありましたが

所謂性格の不一致という言葉で片付けて良いかと思います。

 

なかなか話をするのも面倒くさくて

仕事を理由に会わない、連絡をほとんど取らない。そんな日が約1ヶ月程続いた時に、

わたしは息子がお腹にいることに気付きました。

 

当時わたしの稼ぎは月に30万ほどあり、

逆に元夫はバイトで稼いだお金も全てパチンコに溶かすような人だったので

出掛けたり、ご飯を食べたり、なんなら休みに一緒にパチンコに行くお金もわたしが出すことがある程で、

 

イベントごとなんかで約束していてもその前に平気で持ち金を全て溶かしてきて

平気で親の財布からお金を抜いてくるような人だったので、

殆どのお金をわたしが負担していました。

 

今考えるとまじで

ばっかじゃねーの?いっぺんしんどけよ?

って思いますね。笑

 

まあ、若さ故の過ちとしておくしかありませんが。

そんなこんなわけで、

わたしは自分のローンなんかも払いながら

給料をほとんど使っていたので

なんだか自分だけがこの子をおろす為のお金を歳出することが、非常に腹ただしかったのです。

 

いいえ、今になって考えると

わたしは期待していたんですよね。

変わってくれるんじゃないか、と。

 

その為に、会って話をすることになりました。

あなたとはもうやっていけない。

子供はおろす気持ちが6割、シングルで育てるつもりが4割で

あなたとのことは考えられない。

 

そう、話をしました。

正直、ほとんど本心でした。

 

そして元夫はわたしに土下座したんです。

自分が悪かったと、もう1度チャンスが欲しいと。

しあわせにする努力をする。と。

 

わたしはその言葉を

信じてしまいました。

 

付き合い始めて2年と少しだったと思います。

努力してくれるという言葉を信じて、

わたしも努力しようと、入籍。

元夫の実家での同居が始まりました。

 

その頃にわたしは、派遣の契約期間などの関係も重なり、仕事を1本化し、

基本シフトが15-21時になる、コーヒーワゴン(パチンコ店内でドリンクなどの販売をします)の仕事のみとなりました。

 

同時期に元夫も仕事先を決定、働き始めました。(今思うと本当にまともに就活をしていなかったんだなと思います。職種は選ばなかったもののすんなり仕事に就きました)

 

もちろん、仕事が終わるのはわたしの方が遅いです。

21時に職場を出て、帰宅すると大体22時。

 

そこから簡単でも良いですが、ご飯を作りたいところですが、

それが出来なかったのです。

 

元夫の両親がリビングで寝る人たちだったからです。

 

なぜ寝ている人がいる部屋で電気を付けて料理ができるでしょうか。

もうひとつの理由は、

元夫家族はどちらかというととてもずさんな家族で、

ご飯はほとんど毎日惣菜ものを食べていたのですが、

料理もしないのに毎日食材を買ってきては冷蔵庫に押し込んであったので

わたしが食材を買ってきてしまえるスペースもなかったのです。

 

1度片付けても良いですか?と

冷蔵庫の整理に手をつけてみましたが、

1ヶ月、消費期限の切れたものなどがどんどん出てくる。

いつのものかわからないものもでてくる。

捨てても良いか確認するも食べるかもしれないと言われ進まない。

という具合で、ほとんど片付けることもままなりませんでした。

 

そもそも夜にリビングで寝てもらうのをやめて寝室に行ってもらわないことには、

何にもできませんから

元夫に、ご両親に自室で寝るようにお願いして欲しいと何度も懇願しました。

理由として毎日コンビニ弁当や外食ではお金も貯められないし、

お腹の子供の栄養が足りないと説明しましたが、

なかなか伝えてももらえず、

わたしほうからやんわりとご両親にお願いしたところ、

返ってきた言葉は

気にしなくていいよ。という言葉でした。

 

そんなこんなで、

わたしは妊娠初期からしばらく、

まともなご飯を食べることなく過ごすことになりました。

 

おかげで同居していた間

体重はほとんど変わらず、子供も育たずの期間を過ごすことになりました。

 

 

発達障害が現れることに対し、

妊娠中の不摂生が影響を与えるというデータはありませんが、

わたしはどうしてももしかしてという気持ちが拭いきれず、

現在も時々どうしようもなく悔やむことがあります。

 

そんなことを含めて

今回、そしてこの続きは

わたしの過去への悔やみがあることを

記していきたいと思っています。